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第211話 マクラーレン ホンダ MP4/6 負けていないのに勝った気がしないマシン

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■マクラーレン・ホンダ MP4/6

1991年のF1において、[コンストラクターズ]、[ドライバーズ]のダブルチャンピオンを獲得したしました。

マクラーレンホンダ MP4/6 チーフデザイナー=ニール・オートレイ

ドライバー
No.1 アイルトン・セナ(ブラジル)
No.2 ゲルハルト・ベルガー(オーストリア)

■マクラーレンにホンダの12気筒

3,500ccNAエンジンに統一されてから、3年目。

1989年、1990年とホンダは、V10エンジンを投入しました。89年は、アラン・プロスト、90年は、アイルトン・セナがチャンピオンを獲っていますが、88年の16戦15勝から比べると、年々勝率が下がって来ていました。プロストがフェラーリに移り、急速にフェラーリが力をつけてきたことで、ホンダの対策が急務になりました。

当時のマシン作りは、とにかくパワー。ホンダV10もパワーのあるエンジンでしたが、大きさと重さは、最重量級でした。12気筒になればさらに大きく、重くなるもののパワーは最大限に得られる。空気抵抗の少ないマシンをウィングで押さえつけ、パワーで速さを出す。前時代的な発想でもありました。

エンジン単体で理想的としては、やはりシリンダーの多いものの方が、高回転化しやすく、レギュレーションで上限とされた12気筒を早く実用化することが重要視されたとも思われます。
なお、ターボエンジンが禁止されて、いち早く12気筒エンジンをものにしたのが、フェラーリです。12気筒の割にはコンパクトでとても甲高い音がでました。
高回転化の代償として、トルクが薄く、ミッションの多段化が求められました。その必要に応じて作成されたのが、パドル式の「セミオートマチックトランスミッション」。当初のフェラーリは、新規に導入した技術が多く、信頼性に苦しみます。
しかし、プロストが加入した90年の中盤以降、マクラーレンより力強いレースを見せることも多く、91年こそフェラーリのチャンピオンが現実味を帯びてきたところでもありました。

■1991年のマルチシリンダー

レギュレーションの上限12気筒エンジンは、「マルチシリンダー」などと呼ばれました。

ちなみに、1991年は、
ヤマハ、ランボルギーニ、フェラーリ、ポルシェ、ホンダの5メーカーがV12で参戦しました。

ポルシェは、大失敗に終わりました。ポルシェの大失敗については、当時のポルシェがかなり経済的に厳しい状況だったということもありますが、経験のある6気筒エンジンを2個くっつけました。というようなエンジンで、パワーを取り出すシャフトやギアにねじれが生じて、うまく動かないというものでした。今思えば良く予選通過できたものだと思います。

とくにヤマハは、終盤戦にブラバムのマシンの向上とともにポイント圏内を走れるようになっていましたが、翌年のジョーダンとのコンビが最悪でV12を諦めてしまうことになったのは残念です。
ランボルギーニは、搭載されたのが「モデナ・ランボルギーニ(新規参戦)」「リジェ・ランボルギーニ」と2チームとも速さに欠けました。
フェラーリは、ミナルディにもエンジンを供給。ミナルディも終盤戦には実力を発揮し、14戦のスペインで4位入賞(マルティニ)しています。

■ホンダRA121E

ところで、ホンダV12。

V12になり、重さと燃費の悪化。マシンと合わせての運動性能の悪化。12気筒のパワーはあるものの圧倒的なパフォーマンスはなかなか見せられませんでした。
強さを見せたのが、周りが自滅した序盤4戦のセナ4連勝。終盤の鈴鹿、オーストラリアでは予選でも圧倒的な速さを見せていました。

シーズン中、ドライバーからの不評もあり。可変トランペットなどでトルクを補う技術など、ホンダとしては精一杯の技術をつぎ込んでいますが、12気筒のネガティブな部分を消すことは難しかったようです。

マクラーレンMP4/6は、新車ですが前年からの進化型。サイドの形状をフェラーリに似せてきました。91年当初は、フェラーリのシャシーが一番良いと思われていた部分もあり、そのアイディアを取り入れてきたものと思われますが、実際のベストシャシーは、ウィリアムズでした。

■チャンピオン獲得へ

V12ながら、通常の6速トランスミッション。第2戦のブラジルGPでは、終盤セナが6速だけで走りきったと言います。セナの慎重な技術はもちろんですが、エンジンが止まらなかったことは、このエンジンのトルクの深さを思わせます。

ところで、ベルガーは、トラブルが頻出しました。ドライビングスタイルの違いやオーバーレブの頻度などがトラブルの多さにつながったようですが、確実にポイントを稼いだ90年のベルガーから比べるとと、91年。特に前半戦は精細を欠きました。

シーズン中盤には、セナも燃費計算のミスで、最終週やゴール後に止まったこともありました。ただ、信頼性は高くセナのリタイアは、カナダでの1度のみです。

マクラーレン・ホンダは無敵では無く、下降線に入ってきました。それでもチャンピオン。ダブルタイトルを獲得できたのは、

①ウィリアムズ・ルノーの序盤のトラブル・・・マンセルの初勝利が第7戦フランスまでかかってしまったこと。ポルトガルでのピットミスも痛かった。

②フェラーリの速さの読み違い・・・アレジの加入で、フェラーリ内でのチャンピオン争いが心配されたが、途中投入の643の開発も、チームがガタガタで先に進められなかった。

③ベネトンがたいしたことがなかった・・・ピレリ細身のタイヤ、フォードV12投入の噂、バーナードのマシンの進化。思うように進まず、シューマッハを獲得できたのが将来につながる。

という周りの弱さもあったと思われます。

ただ、マクラーレン・ホンダは、初戦の4連勝で大きくリードを築き、その後も肝心なレース(ハンガリー、ベルギー、鈴鹿・2位)などしっかり加点できたからだと思われます。

技術的には、あまり見るべきものがないMP4/6ですが、保守的であることが、車自体の信頼性の高さにつながっていますし、どのサーキットでも速さがあったのは、それまでのデータの蓄積とタイヤの使い方など基本がしっかりしていたことがあげられます。それでも、軽量化したカウルや終盤には、フロントノーズを伸ばすなど最後まで改良が施されました。

 

 

 

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